記事一覧

にしん番屋茨木家中出張番屋 (小樽市祝津)

小樽水族館のある祝津地区には、昔にしん漁で繁栄した頃の漁家や倉庫が数件あります。
祝津のにしん漁は、江戸時代後期の寛政5年(1793)に始まりました。明治2年(1869)に松前藩の場所請負制度が廃止された後民間に開放され、明治30年頃には最盛期を迎えています。
ここ祝津は三大網元の全盛期となり、そのひとつが茨木家で、中出張番屋は初代当主茨木與八郎氏(山形県出身)が建てたものです。番屋は長年の風雪のため老朽化していましたが、茨木家やまちおこし団体の北後志風土ツーリズムの努力で、2010年6月に修復が終わり一般に公開されることになりました。

ファイル 15-1.jpg

●西洋風の建築方法の番屋 
玄関を入った正面には、大きなかまどが3つ据えられ、その奥は台所。ここで、やん衆(漁夫)30、40人分の食事をつくっていた。左手の板の間は、やん衆が寝起きする所。黒く太い梁の上にある天井は、2本の太い柱と斜めの筋交いを使った三角の木組みが見える。これをトラス構造といい、西洋風の建築方法とのことです。
よく見ると短い筋交いもあり、この番屋は、別の建物の廃材も活用して建てられたそうです。天井の所々に見える白い板は修復に使われた部材。できるだけ当時の部材や建具を活用し、修復ヵ所が見えるようにしたのです。

ファイル 15-2.jpg

ファイル 15-3.jpg

●日本の絹産業を支えた魚肥―にしん
梁の下は広い空間で壁際にはネダイと呼ばれる押入れの棚のような寝床が付けられています。棚の高さは当時にしては低く、群来があると一刻でも早く漁場に行くために、梯子がなくても降りられるような高さにしたのではないかと言われています。
「一網千両、万両」といわれたにしん漁。当時、にしんの多くは肥料と油に加工されていました。にしんの魚肥は西日本の綿花や藍栽培に多量に使われ、明治に入ると生糸生産・絹産業のための桑栽培に適した肥料として全国的に需要が高まり、その結果、小樽など日本海側に巨万の富をもたらしたと言われています。

ファイル 15-4.jpg

●祝津・にしん漁の歴史を学び交流する場として活用
ボランティアの案内があり、夏休みには子どものお泊り体験をするなど、今、番屋は祝津の歴史を学び交流する場として使われています。また、非公開ですが隣には茨木家網元住宅も残されており、番屋前の通りはにしん街道と名付けられ、恵美須神社、倉庫、旧番屋が並び、漁港を見下ろす日和山には鰊御殿が建ち、にしん漁の最盛期を辿ることができます。
茨木家中出張番屋見学時期(4月下旬~10月下旬 金土日祝11:00~15:00)平成27年6/6(土)・6/7(日)にしん群来まつり
(資料;茨木家中出張番屋、鰊御殿)

ファイル 15-5.jpg